2011年11月30日水曜日

支援イベント


会場として使用した盛岡市アイスアリーナも震災の影響により破損した施設であったが、北東北インターハイの会場の1つとして使用される予定であったことから早期に修復され、使用可能な状態となっていた。
東日本大震災は多くの人々の価値観を変え、今なお多くの方々の気力を削り取っている。もともと北東北は自殺率が決して低い地域とは言えなかったが、震災以降置かれている状況は複雑化を増し、こころの問題が深刻化してきている。全ての避難所は閉鎖され、被災者は仮設住宅へと移り、復興計画第一段階は終了したかのような報道をされているが、仮設住宅へ移ったことによるコミュニティーの分断で孤独死が増えていることも無視のできない現実。
例えばサッカーボールであれば、サッカーボールとアスリートの訪問でイベントの企画ができるが、ウインタースポーツという性格上、氷上競技施設での開催が必須となるため被災地で行うことができず、バスをチャーターして被災地から盛岡に来て頂くこととなった。岩手県沿岸の体育協会はその機能をほぼ失っていたが、各方面と調整の上、岩手県でも特に被害の大きかった陸前高田市のスポーツ少年団員(ソフトテニス)を招待した。
このイベントを開催すべきか否かについては侃々諤々の議論が行われ、反対意見もあったが、少しでもこのイベントで笑顔を取り戻してくれる人がいればいいのではないか、と思いから開催の運びとなった。「スポーツ基本法」の制定・施行もこのイベント開催にあっては追い風となった。
1126日(土)にカーリングストーン2個、ブラシ数本を車に積み、特別講師の2人とともに陸前高田市へ赴き、被災者との交流を行った。交流会後に壊滅した陸前高田市内を目にしたが、災害から8ヶ月が経過しようとしているものの、想像を絶するあまりの傷跡を実際に目にし、盛岡への帰途は全員無言であった(陸前高田市にあった高田松原は江戸時代以来の防潮林であり、白砂青松の景勝地だったが、津波により1本だけ松が残った。我々の訪問数日後、残った一本も保存が困難であることが報告された)。
1127日(日)開講式で土居博昭会長(日本カーリング協会)からのあいさつも頂戴し、イベントがスタートした。これまで多くの団体がそうであった様に、大半のカーリングスクールやイベントはカーリングに多少なりとも興味がある方達が参加されるのが常であり、ミニゲームで終わると言うのが通例であったと思われるが、今回はカーリングに興味がある人が参加する、というのは条件から外さねばならず、ミニゲームで終わることにこだわらなかった。当日まで不安、迷い、悩みがあったことは否定できないが、イベントは子供達の底抜けの笑顔と歓声で満たされ、不安や迷いは吹き飛ばしてくれた。引率の方からの話であるが、今回の参加者には親御さんを亡くした子供さんもおり、これまで笑うことなど無かったそうであるが、今回のイベントを通して笑顔を見せてくれ、付き添ってきた保護者の方達の目に涙が光っていた。
これまでカーリングを通して多くの事業を行ってきたが、今回のイベント程、終了後に達成感、充実感を味わった事業は無かった。「街を元気にするのは『スポーツ』と『子供』である」ことを改めて実感するとともに、石崎さん、山浦さんをはじめとしたトップアスリートの力、人間性の素晴らしさを再認識するイベントとなった。
「チーム青森」がカナダ合宿中に参加した大会期間中、近江谷杏菜さんの発案でカナダ国旗に参加選手からの寄せ書きを頂いた。期間中、会場にこの寄せ書き入りのカナダ国旗を会場に掲示したが、多くの参加者が大変喜んでいたことも申し添える。


今回のようなイベントは誰もがやったことの無い性格のイベントであり、「ウインタースポーツであるカーリングに何ができるのか?」という疑問があったが、結果的には成功を収めることができ、また、他のウインタースポーツ競技団体からノウハウにつき質問がきている事実からも、成功は間違いなかったと思われる。今後は継続支援が課題となってくるが、種々の問題を解決し、今後もスポーツを通しての支援を継続する。

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