2012年12月30日日曜日

意見交換会

盛岡市役所に盛岡市内の氷上競技団体の代表者が集まり、意見交換会を行いました。
方向性としては盛岡市アイスアリーナはアイスがとれてアリーナとなり、ライブやイベントを主とした会場へ移行(盛岡市の新成人は、極寒の成人式から解放されます)し、隣接地に新しい通年型の氷上複合施設が建設されるものです。
今後順調に普及・強化が進めば、インターハイや国体等の場で通年施設を有する西日本勢に惨敗するという自体は避けられるでしょう…というよりも、トップアスリートを輩出したいものです。
カーリング専用シートも設置される予定です。
カーリングもトップアスリートを輩出したいですが、私の心の中ではそれは第一義ではありません。
恐らく日本国内の中で新幹線の駅から最も近い氷上競技施設となるでしょう。
交通の便を活かし、多くの方々にカーリングを楽しんで頂きたい。
幅広い年代層に同じ土俵で楽しんでもらえる競技です。
年をとっても体の使い方を工夫すれば楽しめる競技であり、生涯スポーツです。
引きこもりを減らし、地域の社交場になってほしい、そう願っています。
多くの方々の受け皿となれる様、それなりのシート数の設置を、是非、お願いします!

2012年11月26日月曜日

<ある新聞から>


7、8年前まで使用されていた旧5千円札の人物と言われても、忘れてしまった方が多いかもしれない。描かれていたのは戦前に国際連盟事務次長などを務めた国際人、新渡戸稲造だった。米国研究の草分け、植民政策の第一人者、旧制一高校長、女子教育の推進者……。様々な分野に大きな足跡を残した。今年、生誕から150年を迎えた。ジュネーブの連盟事務局では、スピーチで新渡戸の右に出る者はいないと言われていたという。深い教養に裏打ちされた説得力のある演説が聴衆に感銘を与えた。機知に富んだ英語も魅力的だった。日露戦争終結の際に仲介したセオドア・ルーズベルト米大統領が、新渡戸の「武士道」の愛読者だったこともよく知られている。新渡戸もデモクラシーを「平民道」と訳し、その意義を説く親米家だった。だが、排日移民法が成立すると批判の急先鋒となった。国際協調を説く一方、理不尽な動きは許さなかった。領土や歴史問題をめぐり日本の国際社会への発信力が今問われている。新渡戸なら、どんな言葉で訴えかけただろうかと改めて思う。

2012年11月22日木曜日

専用施設の建設


今年度に入り、様々なところで、「いずれ公にはなると思うけれども…」というフレーズを多用しました。

平成27年完成予定で通年型の専用施設建設にむけ、盛岡市が動き始めました。

これはゴールではなくあくまでスタートです。

市民の目はみなさんの活動に向けられます。
質・量ともに充実させて参りましょう!

まずはスタートラインに立つことを喜びたいと思います!

2012年6月11日月曜日

<ある本から>


ちょっとやそっとでは逆転できない不利なときには、つい成功と失敗の振り幅の大きい賭けをしがちです。逆にそのようなときほど、ギャンブルというか、一か八かの勝負手をやるべきではありません。確かに瞬間的には相手を驚かせられるかもしれません。しかし、落ち着いてよくよく見られると、結構簡単にとがめられてしまうのです。相手と差がついている不利なときの姿勢としては、じっと我慢をしてそれ以上の差が開かないように、なんとかついていくことです。このギャンブルをしないというのは、変化をしないということではありません。ギャンブルと変化の違いは何か。ギャンブルはその1回だけを良くしようという考え方で、今回だけうまく行けばいいというものです。一方、変化とは、方針や方向性を変える、修正してみてうまく行かなければ違うことをやる。これを繰り返すことです。

<ある本から>


結果が出ていない原因が、不調なのか、それとも実力不足なのか、もう少しやればものになるのか、という見極めどころをどうするか、という問題があります。
不調か、実力不足かの見分け方を四つ挙げます。
①結果を見るのではなく、内容だけを見ること。
②身の回りで起こっている出来事を見ること。
③自分の視点ではなく、第三者の視点で見たときに、「自分がどう映っているのか」を他の人に確認してみること。
④人から言われた言葉の、感じ方の違いを見ること。

2012年6月3日日曜日

<ある本から>


ツキや運というものは、常に変化する、揺れ動くと同時に、人を魅了する、魅惑する面が非常に強いものです。だからこそ、ギャンブルや占いは、いつの時代も非常に流行しています。しかし、ツキや運というのは引力が強く、「ツイているか、ツイていないか」というところに一喜一憂するあまり、肝心要の自分自身の実力、能力を上げていくことがおろそかになってしまう面もあります。ツキや運というものは目には見えないものですが、確かに存在します。しかしあまりそれにとらわれすぎない、こだわりすぎない面も必要ではないでしょうか。

2012年6月2日土曜日

<ある本から>


局面を、自分の側、相手の側からではなく、審判のように中立的に見ることです。言葉を変えると「他人事のように見る」ということです。
恐れず、客観的に、相手の立場になること。そうすると自分自身や相手、場によって生み出された、勝負を複雑にする雰囲気から距離を置くことができ、結果につながる道筋が見えてきます。